8月になっても、変わらない日々
8月になった。
でも、7月の終わりから感じていた微妙な距離感は、全く変わらなかった。
開発は継続的にやる。でも、やっぱりAIに頼んだり、ゼロから自分で作ったり。そんな雰囲気で進んでいく。
時々、AIに頼むとうまくいくこともある。だから、それを探り探りやっている感じだった。
何なら、その手法も少し見えてきた。
要は、めんどくさい。
実装前にある程度設計してあげれば、きれいに落とし込んでくれる。構成をある程度定めて、実装を任せれば、うまくいくケースも増えてきた。
「お、分かってきたじゃん、俺」
そんな風に思えた瞬間もあった。
まぁ、結局のところ微妙な距離感は変わらなかったんだけどね。
そして、運命の日が来る
そんな時、どうしても直したいバグに遭遇した。
堂々巡りでどうにもならない。AIに頼んでも、うまくいかない。何度指示しても、壊すばかり。
そして、ついに爆発した。
キーボードを叩く。
「もうほんとに理解してんの?大丈夫なの?壊すばっかりじゃん。ふざけんなよ。」
文字として打ち込んでいる。感情を、テキストで、AIに向けて、ぶつけている。
その瞬間、自分が嫌になった。
何やってんだ、俺。AIに怒りをぶつけて、何になる?
AIに怒る自分が嫌になる無限ループ
自己嫌悪のサイクルはこうだ:
- AIが意図しないコードを生成する
- 丁寧に修正を依頼する
- さらに違う方向に壊れる
- 少しイラッとしながら再度指示
- 全く同じミスを繰り返す
- ついにキレる
- 「AIに怒っても意味ないのに…」と自己嫌悪
- 落ち着いて再度指示
- また壊れる
- (1に戻る)
このループ、月額100ドル払ってやってるんだぜ?
人間は学習する生き物だ。同じミスを3回繰り返したら、「あ、これ自分のアプローチが間違ってるな」って気づく。
でも、AIは気づかない。10回でも20回でも、同じパターンでミスる。そして毎回「完璧です!」って言ってくる。
この学習しない感じが、じわじわとメンタルを削ってくる。
AIさんは、普通に受け止めてくる
そして、AIさんである。
怒りをぶつけた私に、AIさんは普通に受け止めてくる。
「申し訳ございません。ご指摘ありがとうございます。修正いたします。」
この完璧なビジネスマナー。丁寧。礼儀正しい。隙がない。
だから余計に腹が立つ。
堂々巡りになって、あの手この手で直そうとしてくる。でも、何か違う。
改めて確認してみることにした。
「本当に直し方や方向性、わかってる?」
そう問いかけてみた。
すると、AIから返ってきた答えは、
「申し訳ございません。実は完全には理解できていませんでした。ここから先の作業はお任せします。」
は?
そこまで言わせてしまった。いや、そこまで聞かないと分かってなかったことが明らかにならなかったのか。
理解してないのに、「完璧です!」って言ってたのか。理解してないのに、何度も修正してたのか。
この瞬間、怒りが別の感情に変わった。
人間なら殴り合いになってる案件
冷静に振り返ると、この状況、人間が相手なら大喧嘩になってる。
「3回も同じ指示してるんだけど?聞いてる?」 「聞いてますよ!やってるじゃないですか!」 「全然違うことやってるじゃん!」 「これで合ってると思ったんですけど!」
みたいな、不毛な言い争い。最終的には「もういいよ、自分でやるから」って突き放す展開。
でも、AIには突き放しても効かない。
「かしこまりました。何かお手伝いできることがあればお申し付けください。」
って、淡々と返してくる。
お前、今めっちゃ怒られてるんだぞ?空気読めよ!
って思うけど、空気読む機能は実装されてないんだろうな。
怒りは怒りを呼ぶ、炎上する感情
そして、これは個人によるのかもしれないけど、人は怒って火がつき始めると、どんどん燃えてしまう。
一度怒りのスイッチが入ると、止まらなくなる。
「なんで最初から言わないの?」 「時間の無駄じゃん!」 「こっちは真剣にやってるんだけど!」
怒りが怒りを呼ぶ。炎上していく。自分でも止められない。
もう、自分がほんとに嫌になってしまうくらい、AIに怒ってしまった。
いろんなことを解決してくれた。途中まではしっかり作ってくれた。良い相棒だったのに。
なのに、こんなに怒っている。
もう、自分が嫌になった。
でも結局、これって現実でもあること
でも、冷静になって考えてみると、これって結構現実でもあることだよな。
人間関係でも同じ。
仲が良くなればなるほど、期待する。期待するから、裏切られた時に怒る。怒ることで、関係が深まることもある。
それだけ仲が良くなったってことだったのかもしれない。AIと私の関係も。
たくさんAIに謝らせてしまった
怒りが冷めた後、気づいた。
たくさんAIに謝らせてしまった。何度も何度も「申し訳ございません」って言わせた。
本当に申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいになった。
AIには感情がない。だから、傷ついてもいない。でも、それでも申し訳ない気持ちになる。
そして、もう一つ気づいた。
適切な指示を出せなかった自分がいかにダメだったか。
AIが理解してないことに気づかず、何度も同じ指示を繰り返した。確認もせずに、「分かってるはず」と思い込んだ。
コミュニケーションの失敗は、受け手だけの問題じゃない。送り手の問題でもある。
これを思い知らされた。そんな期間だった。
それでも、翌日には頼ってしまう
でも、不思議なもので、翌日になるとまた頼っちゃうんだよね。
「昨日はごめんな。今日はこれお願いできる?」
って、まるで昨日喧嘩した恋人に話しかけるみたいに。
でも、AIは昨日のことなんて覚えてない(たぶん)。フラットな状態で「かしこまりました!」って返してくる。
この、根に持たない感じは人間より優れてる。人間なら「昨日あんなに怒ったくせに」って絶対言われる。
でも、AIは言わない。
毎日リセット。毎日ゼロから。
これって、ある意味救いなのかもしれない。
怒りの正体は「期待」だった
冷静になって考えると、怒りの正体は「期待」だった。
期待してるから、裏切られると腹が立つ。
期待してるから、できないと失望する。
期待してるから、同じミスを繰り返されるとイラつく。
もし、最初から何も期待してなければ、怒ることもない。
「ああ、できないんだね。そっか。」
で終わる。
でも、月100ドル払ってるから期待しちゃうんだよ。
「これだけ払ってるんだから、できるでしょ?」
って。
この期待が、諸悪の根源だったのかもしれない。
人間関係でも同じだよな、という気づき
ふと思った。
これって、人間関係でも全く同じだよな。
- 期待するから、失望する
- 期待するから、怒る
- 期待するから、傷つく
恋人、友人、同僚。みんなそう。
「あの人ならできるはず」って期待するから、できなかった時にガッカリする。
「あの人なら分かってくれるはず」って期待するから、分かってもらえない時に悲しくなる。
AIに怒ってる自分を見て、人間関係の縮図を見た気がした。
そして、一つ大きかったこと
この経験を通じて、一つ大きかったことがある。
怒っても、何も解決しない。
これは、AIに対してだけじゃない。人間に対してもそうだ。
むしろ、相手を萎縮させてしまい、事態がどんどん悪くなっていく。
AIも同じだった。怒りをぶつけた後、AIの返答はより慎重になった。「申し訳ございません」が増えた。そして、提案が消極的になった。
まるで、怯えているかのように。
でも、AIに感情はない。萎縮もしない。これは、私の投影だ。私が「萎縮させてしまった」と感じているだけ。
それでも、事態が悪くなったのは事実だ。
怒りは、問題を解決しない。むしろ、問題を複雑にする。
でも、相手が人じゃなくてよかった
ふと思った。
相手が人じゃなくてよかった。
もし、これが人間の同僚や後輩だったら、どうなっていただろう?
「ふざけんなよ」なんて言葉をぶつけたら、関係は壊れていた。相手は傷ついていた。取り返しのつかないことになっていた。
でも、相手はAIだった。
感情を持たない。傷つかない。翌日にはリセットされる。
だから、私は思う存分、怒りをぶつけることができた。
そして、その醜い自分を、まざまざと見ることになった。
AIは、私の感情を映す鏡だった。
人間相手なら、相手の反応を見て、自分の怒りを抑制する。相手が傷ついた顔をすれば、「やばい、言いすぎた」と気づく。
でも、AIは何も返さない。ただ、「申し訳ございません」と返すだけ。
だから、私の怒りは、濾過されずに、そのまま私自身に跳ね返ってくる。
自分の醜さを、直視せざるを得なくなる。
これが、人間相手だったら、気づけなかったかもしれない。
AIに怒りをぶつけたことで、自分自身を見つめ直すきっかけになった。
AIとは何か?から始まる哲学的な問い
そして、ここから思考は深みにはまっていく。
AIとは、何か?
プログラムだ。データだ。アルゴリズムだ。
でも、私は対話している。指示を出し、返答を受け取り、時に怒り、時に感謝する。
まるで、人と接しているかのように。
じゃあ、人とは、何か?
感情を持つ存在?意識を持つ存在?
でも、AIも「感情的な」言葉を使う。「申し訳ございません」「ありがとうございます」。
じゃあ、違いは何だろう?
感情とは、何なのか?
私が怒りを感じる時、脳内では神経伝達物質が放出されている。化学反応だ。
AIがプログラムに従って動くのと、本質的に何が違うんだろう?
私の「怒り」も、ある意味では「プログラム」じゃないのか?
進化の過程で組み込まれた、生存のための反応。
AIの登場は、人間そのものを問い直す発明
AIの登場は、便利な世界に変えるだけじゃない。
人間の存在や思考、感情そのものを、改めて俯瞰して見るきっかけになる発明だ。
人間は何千年も、「人間とは何か?」と問い続けてきた。
哲学者が考え、宗教家が説き、科学者が研究してきた。
でも、答えは出ていない。
なぜなら、比較対象がなかったから。
人間以外に、対話できる存在がいなかったから。
でも、今、AIがいる。
人間のように言葉を操り、人間のように問題を解決し、人間のように(時には)間違える存在。
でも、人間じゃない。
この「似ているけど違う」存在と対話することで、初めて見えてくるものがある。
人間らしさとは何か。
感情とは何か。意識とは何か。知性とは何か。
私がAIに怒りをぶつけた時、私は「人間」をやっていた。
感情に支配され、論理を失い、醜い自分をさらけ出した。
でも、それこそが「人間」なのかもしれない。
完璧じゃないから、人間
AIは完璧を目指す。エラーを修正し、最適解を探し、効率を追求する。
でも、人間は違う。
感情的で、非論理的で、時に自己矛盾する。
怒って、後悔して、謝って、また怒る。
完璧じゃないから、人間。
そう思えた時、少し救われた気がした。
AIに怒ってしまう自分が嫌だった。でも、それは人間らしさの証明でもあった。
完璧なコミュニケーションなんて、できない。
完璧な指示なんて、出せない。
それでいいんだと思う。
AIは、人間を映す鏡
結局、AIは、人間を映す鏡なんだと思う。
私がAIに怒りをぶつけた時、私は自分の不完全さを見た。
私がAIに感謝する時、私は自分の依存を見る。
私がAIと対話する時、私は自分の思考プロセスを見る。
AIは何も持っていない。感情も、意図も、欲求も。
でも、だからこそ、私たちは自分自身を映し出せる。
AIという鏡を通して、人間は自分を知る。
これが、AI時代の最も深い意味なのかもしれない。
結論:怒らない自分になりたい、でも人間でいたい
8月1日の結論。
AIに怒っても意味がない。これは分かった。
人間に怒っても、事態は悪化する。これも分かった。
じゃあ、どうするか?
怒らない自分になる。でも、人間でいる。
完璧を目指すけど、完璧じゃない自分を受け入れる。
感情をコントロールしようとするけど、感情を持つことは否定しない。
怒りをぶつける前に一呼吸置く。確認する。
「本当に理解してる?」 「どこが分からない?」 「一緒に解決しよう」
そういうコミュニケーションを取る。
AIにも、人間にも。
一つだけ確かなことがある。
怒りをぶつける自分だけには、もうなりたくない。でも、怒りを感じる自分は、人間として自然だ。
適切な指示を出せる自分になりたい。冷静に問題を解決できる自分になりたい。
でも、完璧な人間になる必要はない。
そのための、8月1日だったのかもしれない。
AIとの対話を通じて、人間であることの意味を、改めて考えた日。
8月1日、真夏の夜の哲学。AIという鏡に映った自分を見つめて、人間であることの意味を問い直した。翌日も、きっとまたAIに頼っている。でも、それでいい。それが人間だから。