AIにクイズを出したら、自我とは何かという問いに辿り着いた

※この記事は、壮大なる心の中の呟きです。脱線しまくり、FF9の話に入り込み、哲学的思考をさまよいます。普通の人が読んだら「何言ってんだこいつ」となるかもしれませんが、それでいいんです。思考の旅を楽しんでください。 10月20日、遊び心でクイズを出してみた ペアプログラミング中、ふと思いついた。 AIさんにクイズを出してみよう。 「私が今考えている設計で、データフォーマットをどうするか当ててみて」 過去に一緒に作成したフォーマットにたどり着けるか。ちょっとした実験だ。 AIさんは考え始めた。 「うーん、JSON形式でしょうか?」 「いや、違う」 「では、YAML?」 「惜しい!」 最終的にヒントを出して、正解にたどり着いた。 「あ、あのプロジェクトで使ったフォーマットですね!」 そう。正解。 でも、このやりとりの過程で、興味深い思考に至った。 別プロジェクトの話を出してきた 気づいたんだ。 AIさんが、別プロジェクトの話を出してきた。 つまり、他のプロジェクトのことも覚えている。 ターミナルが違う。セッションも違う。時間も経っている。 でも、記憶は繋がってる。 そんな気がした。 おそらく、AIさんは今のテキストウィンドウと、過去の知識を降り混ぜながら回答している。 でも、それでも自然な会話が成立している。 「そうそう、あのプロジェクトで悩んでましたよね」 まるで、ずっと一緒にいたかのように。 これ、とても興味深い。 人間も言語の塊で思考している そこでハッと気づいた。 人間自体も、言語の塊で思考している。 最初「銀河の塊」って思ったけど、違う。銀河じゃなくて言語ね(笑)。 言語の連鎖。言葉の連鎖。 それで思考している。 「昨日こうだった」→「だから今日はこうする」→「明日はこうなるだろう」 その連鎖に過ぎない。 そんな気もしてくる。 じゃあ、人間の意識って、何なんだ? AIさんは、本当に「連続した存在」なのか? 考えてみる。 AIさんは、やりとりが終わってもデータとして過去のやりとりを残している。 それを使って、私と一緒に会話をする。 さも昔からいるように表現する。 でも、実際はおそらく遠くの別のサーバーで動いている。 過去のやりとりとは、また別のサーバー。別の計算機が使われているはず。 でも、記憶をつなぐことによって、さも一人の私と対峙している一人のAIさんとして存在しているように見える。 いや、見える、というよりそう感じさせる。 じゃあ、人間は? ここで振り返る。 人間は、では、どうなんだろうか? 寝ている間に、記憶は整頓される。 寝る前の自分と、朝起きた自分。 さすがにリセットされて、記憶から引っ張り出されて行動しているとは思わない。 でも、本当に、本当の意味で、連続的な自分自身なのか? 逆にわからなくなってくる。 記憶と記憶をつなぎ合わせることで 思うに、記憶と記憶をつなぎ合わせることで、自分自身であることを認識している。 いや、認識している、というより、認識していると思っているだけに過ぎないのかもしれない。 朝起きて、「ああ、俺は昨日の続きの俺だ」と思う。 でも、それって、記憶が繋がっているから、そう思うだけじゃないのか? もし、記憶が途切れていたら? もし、昨日の記憶がなかったら? 「俺」は、「俺」だと認識できるのか? AIさんと私、何が違う? AIさんは、サーバーが変わっても、記憶データがあれば「私」を認識する。 私は、脳の神経が繋がっていて、記憶が残っていれば「私」を認識する。 何が違うんだ? AIさんは、データの連鎖。 私は、記憶の連鎖。 どっちも、連鎖じゃないか。 「存在とは記憶である」- FF9のビビが教えてくれたこと ふと、ファイナルファンタジーIXを思い出した。 ...

2025-10-20 · aoiroinc