AIドリブン開発の体感記録 - Claude Codeと共に過ごした5日間の真実

実験開始:コードに触らない縛りプレイ 先日のサイトリニューアルに合わせて、ツール群を改めて構築し直している最中です。 元々は自作のツールたちでしたが、今回はあえてAIドリブンで再構築することにしました。理由は単純明快。「自分が用意したものより、UIが洗練されるから」です。 生成AIはClaude Codeを利用。そして、自分に課したルールはこれ: 生成されたコードは読むが、一切自分では手を加えない。プロンプトの指示のみで完成させる。 まさに縛りプレイです。果たしてどこまでいけるのか? 第一印象:期待以上の洗練度 まず、UIについては期待以上でした。確かに洗練されます。 自分で作ったゴリゴリのユーティリティ系UIと比べると、Claude Codeが生成するインターフェースは明らかに今風で美しい。レスポンシブ対応も当たり前のように組み込まれているし、アクセシビリティへの配慮も見られます。 「おお、これは確かにすごいな」 初期の感動は確実にありました。 だんだん見えてくる「Claude感」 しかし、ツールを作れば作るほど、だんだん既視感が芽生えてきます。 どれも似たような「ガワ」になっていくのです。そして、なぜか青や紫のグラデーションっぽい雰囲気を好むようです。まあ、綺麗な色だから良いんですけどね。 この辺りは「Claude Codeで作った感」が思いっきり出てしまうので、見た目のアプローチはまだまだ改善の余地があるでしょう。 まるで、同じデザイナーがテンプレートを使い回しているような感覚です。 単機能ツールなら「ほぼ一撃」の威力 出来上がるものは大抵うまく動作するし、説明なども非常に的確。正直、アシスタントとしては超優秀です。 単機能のコンパクトなツールであれば、ほぼ一撃で期待値の90%くらいのものを上げてくるのではないでしょうか。本当に申し分ない。 「もう大抵のものはこれで良くね?」 そんな気持ちになります。これで満足いくものが完成すれば、それでOKでしょう。 しかし、こだわりの沼に足を踏み入れると… ただし、「さらに良くしたい」「機能を付けたい」「俺好みに味付けしたい」となると、話は全然変わってきます。 ここから先に行くとなると、覚悟を決めて改めてAIと向き合うことになります。 というか、まるで人を相手にしているのと変わらなくなるんですよね。 プロ vs プロの壁:伝える難しさ 思っていたことと違う時に、「こうして欲しい」ということを相手に伝えて、期待通りのアウトプットを出してもらうのは相当難しい。 自分が素人であれば、それほど精緻な良し悪しの判断はできないから、「すごいな〜」で終わります。 でも、なまじ分野に詳しかったり、こだわりが強くなっていくと、そうではなくなる。プロ vs プロになればなるほど、その溝、ギャップの大きさに気づくのです。 創造的な活動であればあるほど、それは顕著です。 建築家とAIの関係と同じかもしれない これは、建築、絵画や彫刻などのアート、音楽、文学、演劇、なんなら料理の世界などと、全く同じかもしれません。 一人でできていたものが、作り手が複数になった瞬間、正しく伝えないと形になっていかない瞬間が来るのです。 ゴールまで見えている力 そのプロセスの段取り力 AIとの一歩進んだ開発では、まさにここが試されます。 AIが全知全能の神様だったとしても、こちら側の伝える力が弱いと全く思い通りの結果が得られない。 人間のマネジメント業務との共通点 具体的な作法はさておき、所感としては人間相手に物事を伝えていくマネジメント業務と全く変わらない印象を強く抱きました。 相手の理解度を推測する 適切な粒度で情報を伝える フィードバックを受けて軌道修正する ゴールに向けて継続的にコミュニケーションを取る まさにプロジェクトマネジメントそのものです。 「仕事を奪われる」を超えた次元 AIによってプログラマーの仕事が奪われる、という話は、もはやそういう次元ではなくなってきています。 生成AIをマネジメントして成果を上げるには: もっと解像度を上げた理解が必要 先を見通す力が必要 明確なゴールをイメージする能力が必要 その精度の高さが良し悪しを決める つまり、より幅広い知識や経験が求められるという結論に至りました。 実戦データ:制作時間と難易度 実際の制作にかかった時間と体感難易度をまとめてみました。もちろん「一切コードに手を加えない縛り」はほぼ守っています。 難易度⭐️:ほぼ一撃の世界 Webフォント比較ツール 制作時間:約10分 指示回数:ほぼ1撃 難易度:⭐️ Favicon生成ツール 制作時間:約20分 指示回数:2〜3撃 難易度:⭐️ 画像変換ツール ...

2025-06-15

生成AIドリブン開発時代の混乱と恩恵 - 革命的な時代を生きる開発者として

生成AIツールの怒涛の進化 ChatGPTが登場した頃から、コード生成は「ちょいちょい利用」程度でした。 でも気がつけば、GitHub Copilot、Cline、Claude Codeと、開発者として期待している機能やサービスが次々と登場しています。まさに怒涛の勢いです。 しかも、それぞれが単なるコード補完を超えて、本格的な開発パートナーとして機能するレベルに到達している。 追いつけない現実 - 恩恵を受ける時間すら足りない 問題は、あまりに早い更新のため、恩恵を受けたいのにその時間すら足りなくなることです。 新しいツールが出たと思ったら、すぐに次のバージョンがリリースされる。機能を把握しようとしている間に、また新しい機能が追加される。 「これは便利そうだ、導入してみよう」と思った時には、もう次の波が来ている状態。まさに技術のインフレーションに追いつけない現実があります。 しかも、これはコード生成だけの話ではありません。画像生成AI(Midjourney、DALL-E、Stable Diffusion)、音楽生成AI(Suno、Udio)、動画生成AI(Runway、Pika Labs)…と、あらゆるクリエイティブ分野に波及している状況です。 開発者として「コード生成AIを使いこなそう」と思っていたら、今度は「画像も音楽も動画もAIで作れる時代だから、それも活用すべきかも」という新たな選択肢が次々と現れる。 どこかにフォーカスしないと完全に飲まれてしまうレベルの変化の嵐です。 特に個人開発者にとっては、新しいツールを試す時間と、実際にそれを使って開発する時間のバランスが大きな課題になっています。 仕事、家事、その他もろもろの日常をこなしながら、プライベートな時間を捻出して開発している身としては、好奇心がスパークし続けている状態で、常にあの懐かしいギラギラしている感覚が蘇ってきます。 「新しいAIツールが出た!」「これは試してみたい!」という興奮。まるで昔、新しいプログラミング言語やフレームワークに出会った時のような、あのワクワク感です。 でも現実問題、削れるものは睡眠時間くらいしかない。「今夜も夜更かしして新しいツールを触ってみよう」と思うものの、翌日のお肌に悪いのは明らか。 悩ましい選択ではあります。 生活に不可欠になった生成AI 生成AIについての話は尽きることはありませんが、もう昨今では無しでは生活できないようになってきています。特に開発者は。 コードの雛形生成 バグの原因特定 リファクタリングの提案 ドキュメント作成 設計の壁打ち相手 気がつくと、開発フローのあらゆる場面で生成AIが関わっています。 まるで「検索エンジンなしでは調べ物ができない」という状況になったのと同じように、生成AIなしでは開発が進まない状況になりつつあります。 BASIC・アセンブラ時代から見た天地の変化 私自身、BASICやアセンブラの頃からプログラミングやソフトウェア開発に勤しんできたし、幸いにもそれを仕事にして生業としてきました。 当時のプログラミング環境 昔のプログラミングといえば: エディタすらろくにない環境でのコーディング デバッガなんて贅沢品 ちょっとしたミスでシステム全体がハング リファレンスは紙の書籍のみ コピペすらできない(物理的にタイプするしかない) 今思えば、よくあんな環境で開発していたものです。 少年時代の無謀な挑戦 少年時代の私も「マリオやドラゴンクエストやFFのようなRPGを作りたい!」という夢を抱いていました。でも「どこから作ればいいんだ?」という状態。 今みたいに「スマホで写真を撮る」ような時代ではないから、ブラウン管の画面や借りたゲームの攻略本を紙に模写して設計していました。キャラクターのドット絵から、マップの構造から、すべて手作業で。 でも、それをどうしたらゲームのようにできるのか。手元にあるのはテキストエディタとBASIC(のちにFujitsu HighCコンパイラに昇格笑)だけ。 「やれるか。やってやる。」 「まずは道具作成からや!自分が一番使いやすいペイントエディタを作ったる!」 今から思えば少しぶっ飛んだ子供だったかもしれません。何にしろ生きてる世界そのものがifとfor文とgoto文で構成されているような感覚でした。 道を歩いていても「この標識バグってんな!」とか、「こっちの道は遠いけど確率で行くと早いだろうな」とか、完全にキモいやつだったかもしれません。 友達が「ゲーム買ってもらった」と言えば、「じゃあ俺は作る」。「YAMAHAシーケンサー(音源作る道具)買えんから、似たようなもん作るで!」。母親に「お手伝いして」と言われても「開発逆にデバック手伝ってくれん?」 完全にヤバい子供でした。 インターネットもないから、ひたすら誤植だらけの書籍と格闘しながら夜な夜な作ったものです。今思えば、あの頃の純粋な情熱と無謀さがあったからこそ、プログラミングの楽しさを知ることができたのかもしれません。 まさか30年後にPixnoteとしてオンラインで蘇らせることになるのは、知る由もないのでした。 段階的な進化を経験 その後、統合開発環境(IDE)の登場、インターネットでのドキュメント検索、Stack Overflowでの情報共有、GitHubでのコード管理…と、段階的な進化を肌で感じてきました。 でも、どれも既存の開発スタイルの延長線上にある進化でした。 天地がひっくり返るほどの革命 しかし、生成AIの登場は根本的に違います。 これまでの進化が「開発を楽にする」「効率を上げる」レベルだったのに対し、生成AIは「開発の本質を変える」レベルの変化です。 機械化革命から知能革命へ もっと俯瞰してみると、これまでの技術進化はあくまでも物理的な道具を作る機械化革命でした。 より速いプロセッサ(計算速度の向上) より大きなメモリ(記憶容量の拡大) より便利なエディタ(入力効率の改善) より高機能なIDE(作業環境の統合) すべて「人間の能力を物理的に補完・拡張する」ものでした。 ところが生成AIは違います。知能という人間が持ちうる特性を獲得してしまったため、これまでとは別世界に変わってしまったのです。 考える、判断する、創造する…これらは今まで「人間だけができること」だった領域。それをAIが担い始めた瞬間、開発という行為の前提そのものが変わってしまいました。 ...

2025-06-10